2012年2月21日火曜日

ハーグにて

    おとといからオランダのハーグへ仕事に来ています。宿舎はいつものメルキュールですが,昨日は仕事帰りに周囲を少し散歩しました。
    ハーグにはさまざまな名所がありますが,ビネンホフはその中でも欠かすことのできない場所のようで,平日にもかかわらず結構多くの観光客がいました。
    ビネンホフは,今も国会議事堂などとして使われている歴史的建造物ですが,その中庭には誰でも入ることができます。次の写真は,その外観。後ろに超モダンな建物が見えます。ハーグでは今,高層ビルの建設ラッシュとなっています。



    ハーグは歴史と未来が交差する街です。
橋本

2012年2月15日水曜日

ミニガイダンス

    3年生有志で就職ミニガイダンスに参加しました。講師は大学職員で先輩でもあるM氏。ご自身の経験も踏まえた,大変役立つ情報満載の有意義なセミナーでした。就職大氷河期ともいわれますが,ゼミ生の就職活動の成功を祈ります。もちろん勉強が第一です。
橋本

抄読会

   第1回抄読会を開催しました。これから月1回ペースでやっていきます。
橋本

2012年2月4日土曜日

富士山と関ヶ原

   このところ関東方面に出張が多く,この2月だけでも3回ほど東京に出張します。今月は他にオランダに一週間ばかり出張がありますので,関西にいる時間は半分くらいかもしれません。それにしても今年は寒い。とくに関東の寒さは空気が乾いていて本当に寒いです。
   しかし悪いことばかりではありません。寒い北風のおかげで東京の空気もかなり澄んでいて,ご覧のように,朝には青山の定宿から雪化粧の富士山がくっきり見えました。
   帰りの車中でも,うとうとしながらふと外を見ると富士山と間近にご対面です。

   ああついているなと,出張の疲れもとんだように思えたのですが,次に目覚めた時には,関ヶ原。

   列車は猛吹雪の中で徐行運転。おかげで大幅な遅れが生じて,また疲れがどっと出ました。まあ,その景色もご覧のようになかなか趣がありましたが。さてさてオランダはどうなることやら。それについてはまた今月の後半に。
橋本

「もしもし」「こんにちは」

  最近は経済にしても政治にしても中国関連のことが多いように思います。良いことも悪いこともありますが,共通して感じるのは,同じ東洋人でありながら,価値観は結構違うなということです。
  ところがオランダではどうも日本人と中国人は同じように見えるらしいですね。われわれが,アメリカ人とイギリス人,ドイツ人とオランダ人の区別がつかないようなものかもしれません。
    イギリス英語とアメリカ英語はアクセントも使う単語も違うそうですが,私にはあまりよく分かりません。オランダ語とドイツ語は違うから分かるというものでしょうが,オランダ語は,そもそも低地ドイツ語というドイツ語の分派と見られていますから,少しなまって話されたら,やはり区別は難しいかもしれません。
   それよりも何よりもオランダ人は英語が非常に達者です。これは結構有名なのではないでしょうか。資源のない小さな国の生き残り戦略と見ることもできます。そんなわけで,英語教育は徹底していて,英語を話しているオランダ人をオランダ以外の国で見かけたら,オランダ人として識別できないと思います。
私が留学したライデン大学では,2006年当時でも修士課程以上の授業はすべて英語でした。学位制度などを統一したヨーロッパの大学間競争を勝ち抜くためには必要な措置だったようです。ですから大学ではほとんどオランダ語を使うことはありませんでした(実際使いこなせるような能力も私にはありませんが)。今はもう学士レベルでもそうかもしれませんが,まだ確かめていません。
また,オランダでは,街中どこでもたいていの場所では英語で済みます。これも本当かどうか確証はないですが,「オランダ語が50年後に存在しているか」という若者への問いに,大多数が無くなっているという回答だったそうです。少し残念な気もしましたが,さもありなんと思います。それほど英語が自然と出てくるのです。
最近東京大学の秋入学移行が話題になりましたが,それが本当に国際化,外国人留学生の大量受け入れのためというのならば,授業もすべて英語にすべきかもしれませんね。東大の先生もすべて英語で授業となればさすがに大変でしょうね。
ただし,私はやはり日本人には日本の文化や歴史,そして,日本語の基本をしっかりと教育した上でやって欲しいと思います。ボーダレスの時代に国という概念がすでに古いのだというかもしれませんが,日本人として生まれた限り,やはり生まれ育った国の人間としてのアイデンティティをしっかり身につけないと,結局は他の国やその人々との違いが分からず,真の意味の相互理解,それを基礎とした国際化にはつながらないのではないでしょうか。  
   それはともかく,オランダにおける日本人と中国人の区別に話を戻しましょう。ある中国からの留学生が知り合いの日本料理店経営者に,ぜひ日本人として働いてくれといわれたそうです。日本語も話せないから無理だといっても聞かない。黒髪に黒い瞳だから大丈夫といって是非にということだったようです。ヨーロッパの人からすれば区別がつかないのですね。
   その頃,アムステルダムの裏通りに「もしもし」という店がありました。電話屋さんではありません。日本料理店です。ちなみに,ユトレヒトには「こんにちは」がありました。どうしてこんな名前にしたのか,誰の入れ知恵かはこの際問題なしとしましょう。
両方の店に共通だったのは,カウンターのメニュー表に日本のビールメーカーA社の文字があることでした。これも確認していませんが,A社の海外戦略の一環なのかもしれませんね。
   怖いもの見たさもあって,「もしもし」に行きました。夕食時なのに客は一人もいない。いかにも日本の居酒屋といった雰囲気を作り,今や日本でも,もはやそれはないだろうという演歌の有線放送(?)が流れ続けていました。昭和です。
   従業員は東洋人らしい板さんとウエイトレスさんが二人,オランダ語ができないやつと見られたのか英語で受け答えしてくれ,席はあえてカウンターの,板さんの動きが一番見やすいところにしました。
   注文時にウエイトレスさんに,日本人ですかと聞くと,まさかという表情で中国人というお答え。板さんは,日本人は寡黙という演技なのかは分かりませんが,一言も語りません。目も合わせません。まあいいかと気を取り直し,まずは,お造りの盛り合わせとビールを注文しました。そして,いよいよ運命の時が来ました。
    板さんはウエイトレスさんから注文を聞き,ネタを冷蔵庫から取り出して長い刺身包丁を構えました。あッ,私はその瞬間彼が中国人であることを確信しました。彼は包丁をネタに押し当て,そして押し切りにしました。そう,日本人は包丁を引きます。決して力づくでは押し切りません。やはり板さんも中国人だったのです。そして,柳刃の包丁が傷むぞという心の叫びも届かず。ネタは押しつぶされるように切られていきました。
   味はどうか。久しぶりに大根でできた刺身のツマを食べることができてよかったというのが,その時の思い出です。ご理解ください。
なお,昨年近くを通った時にはすでに閉店していました。文化の違いを分からせてくれる意味で良い店だったのに残念です。復活に期待したいと思います。

橋本
 




ブログ再開

1月もあっという間に過ぎてしまいました。師走も文字通り忙しかったですが,1月は想像以上に忙しかったです。言い訳はこれくらいにしてブログを再開します。
橋本