2012年4月30日月曜日

フェルメールがやって来る!

    毎度のことながら,フェルメールの展覧会があると大盛況になります。しかも今年は,マウリッツハイス美術館展ということで,「真珠の耳飾りの少女」も来日するそうですから,これまでにも増して多くの人出となりそうですね。
   前にも書きましたが,私はオランダのハーグに仕事でよく行きます。その際は仕事帰りに一度は必ずマウリツハイス美術館をのぞくようにしています。下の写真は,右側がマウリッツハイス美術館。ちょうど,例の少女がこちらを見ています。そして左奥が前にも紹介したオランダの国会などの入ったビネンホフという建物です。こちらは裏側です。

   残念ながらというか,当たり前というか,美術館の中は撮影禁止です。そこで今回はビネンホフ(het Binnenhof)の中をご紹介しましょう。この左側の門を入ると大きな中庭になります。
   右側の建物は騎士の館と呼ばれ,国家の開会式は国王(現在はベアトリクス女王)臨席の下,ここで行われます。
   ビネンホフで中庭という意味がありますが,うしろのホフだけでも中庭とか宮廷,さらには,豪邸といった意味もあるようです。チューリップで有名なキューウケンホフ(Keukenhof)は,キューケンが英語のキッチンにあたるので,台所の庭(?)といったような意味なのですかね。
  ホフは結局,中庭のあるような大きな家をさすようで,街中でも普通に目にすることができます。次の写真は,私が留学中に住んでいたライデンにあるホフの一つです。ここに住む友人のAさんの案内で中を見せていただきました。
   中庭に面して扉があり,それぞれが一つの家になっています。ここは今,歴史的建造物を守ることを使命とした財団が所有していて,厳しい面接を行った上で,ライデン大学などに通う単身の女性だけに貸しているそうです。静かな環境で勉強も進みそうですね。
    ぜひ皆さんもオランダに来られたら,こういうところも見ていただきたいですね。

橋本武久



スキー部の合宿に行ってきました。

   顧問(部長)をさせてもらっているスキー部の合宿に行ってきました。場所は滋賀県のマキノです。マキノにはまだ雪があるのかと思われるかもしれませんが,ありません。遠くの山の頂上付近にそれらしいものは見えますが,宿舎の辺りはもう新緑の季節です。
   今回の合宿は,球技を中心とした体力づくりのトレーニングや新入生の入部式他でした。そして目玉は教学セミナーです。部の名誉顧問で本学名誉教授の後藤文彦先生ご指導の下,部員たちは真剣に自己分析を行いました。
   
    文武両道。勉強も頑張る,京都産業大学体育会スキー部です。

橋本武久

2012年4月23日月曜日

第3回 抄読会を開きました。

   11日のことですが,3回目の抄読会を行いました。ただし,これは3月分です。だから今月はもう1回あります。
  今回は,安藤英義(2011)「会計基準等に対する簿記の独立性」『會計』,第180巻第2号,1‐15頁をとりあげました。
  参加者からの発言が少ないように思いますので,研究担当幹事(抄読会幹事)を通して,もっと積極的に関わるよう指示を出しているところです。次回からの奮起に期待したいですね。

思い出の先生方(茂木虎雄先生編)

大学教員にしかなれなかった茂木虎雄先生

    先日,東京への出張前泊時,私はいつもよりかなり早目の新幹線に乗り込んだ。あるご婦人のお見舞いをするためである。その方は,立教大学名誉教授 故茂木虎雄先生の奥様であった。

   茂木先生のご高弟であるS大学のS先生とJR阿佐ヶ谷駅で待ち合わせ,何度か通ったその道を急いだ。奥様は昨年末に大きな手術を受けられ,今はご自宅で療養されている。お目にかかると思ったよりもお元気で,われわれは安堵した。そしていつも通り茂木先生の思い出話に花を咲かせた。

   茂木先生はいわずと知れた会計史学の大家である。『近代会計成立史論』や『イギリス東インド会社会計史論』は,今もわが国会計史学の金字塔だといえる。研ぎ澄まされた論理を,直截的に切り込まず,行間に先生の思いがにじんだような体言止めの独特の文体。それは,先生の思考回路の,あるいは思索の回廊の鳥瞰図といえるかもしれない。

 そんな先生と私の出会いは,1996年大東文化大学で開催された日本会計史学会第15回大会の会場であったと思う。先生はこのときすでに立教大学を退職し,大東文化大学に移られた後であった。

どなたかがご紹介くださったと思うのだが,何せ相手は仰ぎ見るような大先生である。年齢も孫とまでは行かないものの親子以上に違ったので,当時はまだ心臓にうぶ毛くらいしか生えていなかった私は,緊張していたのだろう,この時のことをほとんど覚えていない。

 厚かましい話だが,気がついたときには先生宅にお邪魔するようになっており,その際はこれまた厚かましくも決まって奥様ともご一緒に楽しくお食事をよばれ,それから別室で研究のお話をしていただく,という豪華なパターンになっていたのである。

 先生は,誰に対しても偉ぶるところがなかった。私のようなひよっこの研究者に対しても(もう年齢だけは親鳥になったけれども),その説に耳を傾けてくださり適切なアドバイスをしてくださった。

   正直にいえば,オランダ会計史に対する先生のお考えと私の考えは一致していない。むしろ逆なところも多いのである。それでも先生は,「いいなー橋本さん,これからだなー」と励まし,何かにつけて私の研究を引用して対等に扱ってくださったのである。これは私を大いに勇気付け,心の支えとなった。

   先生は私が拙著を出した時には書評を書いてくださるはずであった。しかし間に合わなかった。くだらん冗談と批判を覚悟でいえば,当時は天城越えならぬ茂木越えだと力んで執筆していたので,ご逝去の報に接した時には呆然とした。学恩に報いることができなかった不孝行者と今も悔いている。

   さて,奥様の思い出話に戻る。「パパがイギリスに留学した時,何ヶ月かして後から遅れていったら毎日同じものしか食べていなかったの。行きつけの店に行って手を挙げるだけで勝手に向こうが持ってくる粗末な食事。それしか食べてなかったの」。先生がご存命の頃から何度もお聞きした話である。先生は研究以外のことに無頓着で,ただただ毎日史料に向き合いコピーをとっていたそうである。

  「パパは最初に地方の短大に勤めたでしょ。どなたかが,まだ若いので生活が大変だろうって,会計の先生ならばできるだろうって,商家の帳簿をつける内職を持ってきてくれたの。でもパパはこんなのやってられない,できないって,商業高校出身なのに。結局,私がすべてやったのよ。家でも帰ったら子供の面倒も見ずに勉強だけだったわ」。そして, 奥様はこう付け加えられた。「パパは結局,大学の先生にしかなれなかったのよ」。
  こういいながら奥様はけっして怒ってはいない。どこかで誇りに思っておれるようにも感じた。そういえば,漫画『天才柳澤教授』で,孫がおばあさんに,おじいさんはどうして大学の先生をしているのかと聞く場面があり,まったく同じセリフがあったなと余計なことを思い出した。大学教員にとって最高のほめ言葉だなと感じた。
  私も最後はそういわれてみたいのだが,さてどうだろう。そんな思いとともに今,先生の論文を読み返している。

 橋本武久 

追記  茂木先生の思い出については,KG大学名誉教授のK先生が多くの随筆を書かれている。また,私の修士時代の恩師であるI先生との対談が放送大学のビデオで残っている。実はこの収録に私も裏方として立会った。先生が亡くなった年の1月のことであった。ともに参照していただきたい。


2012年4月14日土曜日

2012年度のゼミが始まりました。

    新しいゼミ生を迎えて,2012年度のゼミが始まりました。早いもので私がこの大学に移籍してからもう3年目です。ゼミ生がやっとフルメンバー揃いました。今年の体制は,大学院生がM2が2名,M1が1名,4年生が12名,3年生が25名,2年生が19名の計59名となりました。
   5月には全員で顔合わせの集まりをしたいと思います。8月には院生の修士論文と4年生の卒業論文の中間発表会を合宿形式で行う予定です。できれば11月の神山祭にも出てほしいですね。12月はゼミ対抗研究発表会と忘年会,そして3月には明治大学と合同の春合宿です。
    また,途中の8月には税理士試験もあり,今年は5名ほどチャレンジするようです。新4年生は今就職活動の真っ最中ですが,すでに2名ほど内定が出ました。残りのメンバーにも頑張ってほしいですね。ゼミ生のますますの活躍を祈ります。

橋本
  

春爛漫

    久しぶりの更新です。今週は,遅れていた桜が学内で満開となりました。それにしても今年の冬は寒かったですね。2月頃はこんな感じでした。
 
   そして今週はこう。
    学内でもっとも桜がきれいだと思うのは,図書館前です。
     ここではいろいろな種類の桜が咲き誇っています。
     来年の春にはぜひ見に来ていただきたいと思います。

橋本武久