寛容と短気
興津先生と私の接点は,先生の略歴を見る限りほとんど見出すことができない。かろうじて日本会計史学会の会長と幹事という間柄だけが,公式の接点とし残されているだけだ。しかしながら,今年1月に亡くなられるまでの約10年間,私にとってはもっとも身近な先生のお一人であった。
興津先生との出会いはいつだったか,本当のところは良く覚えていない。どこかの学会の懇親会で「彼氏の司会引き受けたるでぇー」と例の明るい調子で,私の発表の司会を引き受けてくださったときだったと思う。
わが国会計学界の巨星・山下勝治先生最後の弟子(先生は山下ゼミ博士課程の最後の弟子。修士課程の最後の弟子は,松山のH先生),日本会計史学会,日本簿記学会の元会長。多くの若手を引き上げ,育てた名伯楽であった近大の大先生。そんな名声よりも何よりも,老若男女問わず多くの研究者に囲まれて,わいわい楽しそうにお酒を楽しまれるお姿が多くの方々の心の中に残っているだろう。寛容と笑顔は興津先生そのものといってよい。
しかし私は,先生が実は非常に短気だったのではないかと考えている。先生とは先生のご自宅と拙宅が比較的近かったこともあり,学会や研究会の行き帰り私の車でよくご一緒した。そんな時,「ちょっと寄っていこか」とお茶や食事に誘ってくださった。先生なりの気遣いである。
そんな時は自然と関係する学会や共同のお仕事の話になる。学会の中には,自分も含めてだが,不義理な人や自分勝手な行動をする人も当然いる。そういうことが話題になると先生は急に,いつもは見せない厳しい表情をされ,二人の間は非常な緊張感に包まれるが,その次の瞬間,「まっ,しゃーないわ,あはは」と一笑に付され談笑を続けられるのが常であった。
実は私も先生の怒りをかった一人だ。私が今の大学に移籍するかどうかという時期の話である。先生には日頃から大変気にかけていただいていたので,早い時期にご相談しておかねばと考えた。当時,先生には,私の前任校に大学院の非常勤に来ていただいていた。そこでその授業が終わった後,お茶にお誘いしお話しをすることとした。先生はだまって私のお話をお聞きになっていたが,私には先生が気分を害されているのがよく分かった。先生とすれば自分が以前に差し伸べた話には乗ってこなかったのに,今さらなんだということであったろう。
しかし先生は,ついに最後までそのことを口にはされなかった。話を聞き終わった後,「そうか,わかった。頑張り」とだけおっしゃって,その後はご自分が移籍された時代の話をしてくださったように思うのだが,終始恐縮していた私はほとんどその内容を覚えていない。
実は私も先生の怒りをかった一人だ。私が今の大学に移籍するかどうかという時期の話である。先生には日頃から大変気にかけていただいていたので,早い時期にご相談しておかねばと考えた。当時,先生には,私の前任校に大学院の非常勤に来ていただいていた。そこでその授業が終わった後,お茶にお誘いしお話しをすることとした。先生はだまって私のお話をお聞きになっていたが,私には先生が気分を害されているのがよく分かった。先生とすれば自分が以前に差し伸べた話には乗ってこなかったのに,今さらなんだということであったろう。
しかし先生は,ついに最後までそのことを口にはされなかった。話を聞き終わった後,「そうか,わかった。頑張り」とだけおっしゃって,その後はご自分が移籍された時代の話をしてくださったように思うのだが,終始恐縮していた私はほとんどその内容を覚えていない。
寛容と短気。この矛盾を抱えながら,自己を抑制し他人を傷つけず,人の良いところを見ようとされた興津先生。私はまだまだ先生のようにはなれそうもない。
橋本
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