2011年12月1日木曜日

思い出の先生方(須田先生編:その1)

須田一幸先生編:その1
須田先生との出会い
  私の勤める京都産業大学のゼミ生募集の要項には,「ゼミを選ぶときのアドバ
イス」という項目がある。
私は,この中で決まって,「友達もそこのゼミに行くからではなく自分自身で決
める。私のゼミの先生は『私立大学の教員は教育で給料をもらっていることを忘
れてはいけない』といっていた。その後,研究者としても超一流になった先生を
見て,私の人を見る目もまんざらでもなかったなと思う」といったことを記して
いる。
  この先生はもちろん須田先生のことである。私と先生の出会いは,先生がロチェ
スター大学での留学から帰国された,平成元年頃であったと思う。私は紆余曲折
あって京都産業大学の2年生に再入学し,その時すでに25歳。とうの立った学生
で,ほかの学生と違って少々ひねくれていた。そこが先生の目に入った。
  どの講義であったかは覚えていない。ただ,先生の授業は非常にパワフルで刺激
的であった。これは先生の講義を受けたどの学生も感じたことだと確信する。気
力充実の上に準備万全だから怖いものなしだ。授業の後にはいろいろ疑問に思っ
たことを聞きに行く。行けば,即座に的確に,そして,いくらでも時間を惜しま
ず話をしてくださる。私は,3年生からはこの先生のゼミに行こうと決めた。
  ところが問題が発生した。先生が関西大学に移籍されることになり,急遽,ゼ
ミの募集がなくなったのである。「僕たちゃ将棋の駒みたいなもんなんだよな」
といった先生の言葉の意味が,今ならよくわかる。「君のことは,S君(現在専
修大学教授)に頼んどいたから,しっかり勉強するんだな」といわれ,私はS先
生のお世話になることになった。
  一度あることは二度ある。それから1年もしない3年生の秋であったと思うが,今
度はS先生が専修大学に移られることになり,私は再び途方に暮れた。須田先生
とは,先生が移籍後もいろいろ指導を受けていたので,他のどの先生のお世話に
なろうかとご相談をした。先生はいつもとは違いその際あいまいなお答えをされ
た。
  数日たって,当時の学部長T先生からお呼び出しがあった。T先生から,「まっ
たく異例ですが,須田先生にあなたのゼミの指導をお願いすることにしました。
須田先生も快諾してくださいましたから,あなたからも御礼をいっておいてくだ
さい。あなたのために来てくださるようなものですから」と告げられた。その夜,
私は先生にご連絡をし,御礼を申し上げた。先生は,「がんばらなきゃな」とだ
けいわれた。
(このT先生には再入学以来お世話になった。名誉教授となられた今もお元気で,
今年の夏にはお食事にお招きいただいた。感謝である。)

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