須田先生と私と研究と
実のところ私と須田先生は,先生が実証会計,私が会計史と専門が離れ,同じ会計学の学界に身を置きながら,研究面ではまったくといって交渉はなかった。だから,先生が公認会計士試験委員になられ,『会計人コース』から試験委員の横顔と学説の執筆を依頼された時にも,私が書いていいのだろうかとわざわざ先生にお伺いを立てたくらいだ。
結果は,「当然だろう」の一言で,それでは書かせていただきますとなったのだが,さすがにその後の学説研究特集の方はお断りしたのである。なお,このときの記事は今でも需要があるらしく,googleで先生のお名前を検索すると上位5位以内に入ってくる。今読み返すと受験者にはまったく役に立たなかっただろうにと,少々後ろめたい記事である。
須田先生はいわずと知れた実証研究の大家で私は歴史研究である。これは何も今に始まったわけではなく,学部時代から路線は別であった。ただその頃に共通していたのは,制度会計に対する関心であり,これは中村忠先生の高弟である須田先生の本分かつゼミのテーマだったからである。
私は,3年生の時,学内の懸賞論文に応募し幸いにも2席になって6万円もの賞金をいただいた。1席になれば学内紀要に掲載可能となるが,2席はそれには及ばない出来ということだ。私は,その6万円で『会計学辞典』と『インタビュー日本における会計学研究の発展』を買ったが,出版社はともに後に私の処女作を出版してくださることになる同文舘出版で,辞典は神戸大学が編集といった具合であり,今思えばご縁があったのだと思う。
それはともかく,この結果に当時お世話になっていたS先生は手放しで喜んでくださったが,須田先生の方は,「費用収益対応の原則に対する君の解釈,あそこだけだな,いいのは」と手厳しかったことを覚えている。
研究者同士として交流がなかった理由はもう一つある。それは,大学院に進学するに際して先生から,大学院に進学し研究者になる以上,大学院時代の先生を一番に考えなければならないと申し渡されたことである。
先生は福島大学を卒業し,一橋大学大学院に学ばれた。同じように他大学の大学院に進学する私に対して,おそらくはご自分の経験もあって,これから就職や学界でお世話になる大学院の指導教授を大切にしろということであったと思うが,人が思うほど器用に生きることのできない私は,必要以上に先生と距離を置こうとしたところがある。それが先生にとっては不満であったかどうかはわからない。
同窓会では学部ゼミ卒業生という立場だからもっと気楽に話すことができると思っていたのだが,常に主催者の立場であったため,また,こちらはいつでも話ができるという気もあって,久しぶりに先生と再会された同窓生に先生の隣席を譲り,その場で話し込んだという記憶はついぞない。
このような距離感は,悪いことばかりではなかったような気がしている。たまに何かの機会に飲んで話し込んだ時に私は,先生の研究に対しても忌憚のない意見を述べることができた。先生の研究とは対極にいる私ゆえに持ちうる見方から,いろいろとお話をすることができ,先生もそれを是としてくれていたようである。
私が実証研究に否定的だと思われたのか,「橋本君がやっている歴史研究もさ,結局,実証研究なんだよね」と,ニコニコ笑いながらおっしゃった姿が今でも目に浮かぶ。しかし,そういう話をする機会はもうないのである。
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