2011年12月1日木曜日

思い出の先生方(須田先生編:その2)

須田ゼミでの勉強
   須田ゼミの指導は厳しい。これはどのゼミ生にも共通の認識ではなかったか。
私はそのころすでに大学院に進学することを決めていたが,先生からの質問にうまく答えられない時など,「大学院に行こうかって人がそんなこともわかっていないなんてダメだね」などとしょっちゅういわれた。また,先生は英語ができなくてはダメだから卒論は英語の文献を参考にして書くよう指示された。
   2月末,関西大学の先生の研究室に呼び出しを受け,1冊の洋書を渡された。G.J. Staubus, An Accounting Concept of Revenue であった。100数十ページほどの本であったがこれを春休み中に訳しておくよう指示され,「1ヵ月もありゃ十分だな。それくらいで訳せなきゃダメだよ」とプレッシャーもかけられた。
   英語は今もって自信がない。当時の私にはそのたった100数十ページが何万ページにも思えた。しかしやるしかない。毎朝8時から夜10時まで,この時は本当に一日中,まだ春浅い上賀茂の下宿のこたつに入り翻訳に専念した。
   最初の数日は,11ページが限度で,どうしようもない焦燥感に包まれた。それでも続けているとコツがわかりだし,どうにか3月の終わりには1回目の全訳が終わった。先生に連絡を入れると,「えーもう終わったの。思ったより早いじゃない」。一月前の「1ヵ月もありゃ・・・」というあの言葉はなんだったのかと恨めしく思った。
   須田先生から翻訳文をゼミで発表するようにといわれた。「このコストが・・・」。「橋本君,コストは原価か費用って訳すんだよね。コストってのは,どうかな。ちょっと見せてみろよ。・・・・・こりゃコストとしか訳せないな」。
   こういう発表をゼミでやられた日には,他のゼミ生にとっては迷惑な話であったろうと思う。勉強はゼミの後にも続いた。場所は,上賀茂神社近くのタナカコーヒーと決まっていて,加茂川に面した窓際の席を独占し,コーヒー一杯で長時間,いい歳をしたおっさん二人が洋書を片手にああでもないこうでもないとやるのだから,店にとっても迷惑な話であったろう。
   そんなある日のことである。いつもは時間を気にせず指導をしてくださる先生が,いやにそわそわとしていた。「いやー,実は今日,家内が出産予定なんだよね。こういう時にさぁー,その場にいないと一生恨まれちゃうからな。橋本君も気をつけたほうがいいよ」とうれしそうに話され,愛車で走り去られた。その時生まれた愛娘さんはもう立派な女子大生となっている。

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